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被災地はいま ~ 忘れてはならないこと2012-11-1

 この夏、福島医療生協わたり病院(福島)へ医療支援に行ったみなさんの報告を紹介します。

見えにくい事故の影響

看護師 小田 隆子

看護師 小田 隆子

 1年前の夏、わたり病院へ1週間支援に行きました。その後スタッフはどうしているだろうと思いながら、再び8月15日から2週間、支援に行きました。

 昨年はほとんど稼働していなかった小児科のベットが稼働しているなど、人々が市内に戻っていることを感じました。しかし、子どもはできるだけ他の地域で過ごさせたいという親の思いは変わっていません。近隣の県だけでなく、北海道や九州に一時避難する親子が多いようでした。

 「福島の子ども保養プロジェクト」にボランティアとして参加しました。猪苗代町にある温泉施設に親子で1泊し、子どもたちは久しぶりの外遊びで、はじけるような笑顔と歓声が響きました。親御さんは臨床心理士と面談しました。被曝の影響を心配してストレスが溜まり、人間関係まで悪化していることなど、切実な思いを感じました。

 被災地では今も原発事故の影響が進行しています。北海道にいると見えにくくなっている事実がたくさんあることに気付きました。

雑草が生い茂る使われなくなった線路
雑草が生い茂る使われなくなった線路

 福島市の隣にある伊達市の仮設住宅訪問に参加しました。洗剤を配りながら戸別訪問し、思いを聞きました。「テレビ局の人が来て、『住人たちは花壇や畑を作り、落ち着いてきた様子が伺えます』と伝えていた。でも、落ち着いてきてなんかいない。どうしていいかわからないまま、とりあえず花を世話しているだけなんだ。表面だけ見てわかったようなこと言われると悲しいよ」と。

 また別の方は、「市内のガソリンスタンドで『飯館村から来た』と言ったら車に水をかけられた。だから、もう言わないようにしている」と話しました。福島では今もこのようなことがおきているのです。

 今回、スタッフの方からDVDをいただきました。映像には、「原発ゼロは、被災地と被曝を受けた福島の切なる願いです。それを伝えていただけたらありがたいです。春の福島市にもぜひいらしてください」とメッセージが添えられていました。

 支援の形は、ひとつではありません。私を送りだしてくれた外来の職場では福島県産の桃を200個購入し、共闘委員会で販売しました。この活動を知った地元の方から「励みになった」と感謝されました。みんなの支援が確実に伝わっています。


再稼働反対の思い強く

理学療法士 菅原 美和

理学療法士 菅原 美和

 わたり病院へ9月18日から4日間、支援に行ってきました。

 私は宮城県仙台市の出身で、福島には幼馴染や旧友がいます。福島原発事故では友人や仙台にいる両親がとても心配で、何か自分にできることはないかと思っていたので、支援要請を聞いて「こんなチャンスはない」と思い、立候補しました。

 福島では、「放射能」「除染」などという言葉を日常的に見聞きしました。福島駅に降り立ったら、駅前の街路樹に「除染中・危険」と張り紙があってロープで囲われていたり、職員が「今日、午前中町内会の除染作業だった。木は切り倒さなくても良いが花や草は全て刈りとるように言われた。長年育ててきた庭の草花だから辛かった」などと話していました。

 ある若い女性職員は、「この福島で家族で暮らし続けることを決めたんです。でも、娘が30年、40年後に放射能の何らかの影響が出たとしたら、この決断が本当に良かったのかと悩むと思う」と涙ながらに話してくれました。

 放射能の恐怖とともに暮らし続けるということは、こういう先の見えない恐怖にさいなまれながら生きてゆかなくてはならないということなんだと思い知らされました。

 しかし、皆明るく日々仕事をしていました。退職率が非常に低い職場でしたので「どうして退職が少なかったのか」と課長さんに聞きました。「福島県外出身者も多く、家族が心配して退職して戻るように言われた職員が多かったです。私は職員の親御さんに説明に行かなくてはならないと思っていました。でも職員は皆、放射能の学習をした資料や広報誌を持って自分で親御さんを説得してきた。本当にありがたい。うちは仲がいいのが自慢なんです」と笑顔で話していたのが忘れられません。

 原発問題は人ごとではありません。一度事故が起こると取り返しのつかない悲劇が待っているのだと肌で感じてきました。これからも原発再稼動に反対し福島のみなさんと連帯したいと思います。


「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会のご案内2012-2-14

 瀬戸内海の祝島(いわいしま)、山口県に属するこの島の周辺は昔から好漁場として知られており、環境汚染が進んできた瀬戸内海では残された数少ない漁場のひとつだ。

 まさにその浅瀬の目と鼻の先に、中国電力が上関原子力発電所の建設を計画している。20数年にわたる地元の反対運動がつづいている。

映画は島民の原発反対の運動とともにスウェーデンが脱石油、脱原発を決め、自然エネルギーへシフトし持続可能な社会づくりのとりくみも取材し、どうしたら未来のエネルギーを自分たちの手で選択し、作り出せるのか、ということを問題提起する映画である。


日にち:2012年3月3日(土)
時 間:①10:30~12:45  ②14:00~16:15  ③18:00~20:15
場 所:札幌市ふしこ地区センター 体育室 (伏古11条3丁目1-15)

●上映会実行委員会 参加団体
勤医協中央病院医局、勤医協中央病院、勤医労中央病院支部、東区社会保障推進協議会、勤医協札幌東友の会、
勤医協東社員支部、東区9条の会、新日本婦人の会東支部、(株)リヴィノールシステム

●映画予告編(約2分)の紹介
YouTubeへのリンクです。

●オフィシャルサイトの紹介
鎌仲ひとみ監督のメッセージや映画上映会スケジュールなどが載っています。


原発のない安全で安心な社会をめざして2012-1-20

エコプロジェクト中病が脱原発を宣言しました。宣言内容はこちらをご覧下さい


新しい年~福島に思いを寄せて2012-1-6

 昨年12月、5西病棟の富塚師長と須田総師長が北海道民医連の福島訪問団に加わり、福島に行きました。その報告を看護部ログ(ブログ)に掲載しました。
  http://bit.ly/AEnf5z

 福島看護支援は2012年1/4~救急病棟の籬看護師がわたり病院に2週間行きます。
 昨年の夏は、2人の師長が郡山の桑野協立病院へ、外来のOナースが福島市のわたり病院に看護支援に行っています。


被災者一人ひとりの人権を大切にした復興を!2011-7-14

 2011年3月11日、未曾有の大災害が東日本を襲い、多くの尊い命が一瞬にして失われました。今なお行方のわからない方々や避難生活を余儀なくされている方々も大勢いらっしゃいます。心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。当院では、発災直後に災害対策本部を立ち上げ、院内の危機管理体制と被災地支援の方針を確認しました。そこに飛び込んできたのが、福島県の救命救急センターに勤務するI先生(当院で初期研修終了)からの切羽詰まった援助要請の電話でした。「長期療養型病院の機能が麻痺して、危機的な状況に陥る可能性がある、助けてほしい」というものでした。すぐさま、10数床の病床を確保し、受け入れ体制を整え、3月13日には被災地東北へ支援の医師2名、看護師2名を派遣。以来4月末日までに医師5名、看護師9名、放射線技師1名、事務1名を派遣しました。

 先日、病院の全職員を集め、現地支援報告会を開催しました。トリアージと救命救急が中心だった震災直後から、慢性疾患の管理や心のケア、生活・介護支援へと重点が移り、地元医師会の先生方も日常診療を再開し、復興に向けた歩みもより確かなものになってきているとのことです。

 しかし、将来への不安、苦しみと悲しみはなお続いています。「復興構想会議」で菅首相は「単なる復旧ではなく創造的復興を」と述べましたが、阪神・淡路大震災のときにも国と県は同じスローガンを口にし、神戸空港などの大型開発計画推進に執着し、地場産業が立ちゆかなくなり、住む人々はバラバラにされ、多くの「孤独死」を生みました。国は、被災者一人ひとりの生活再建を復興の中心にすえ、住宅再建、東北の農業・漁業・中小企業再建、そして自治体再建、学校・病院・福祉施設など公共的施設の再建を急ぐべきです。北海道医師会としても、被災者の受療権と人権を守り、生活再建が可能となるよう国に働きかけていくとともに、可能な限りの支援活動を継続すべきだと考えます。

 また、「人災」ともいうべき側面が明らかとなった原発事故。その困難を思うにつけ、医師会として、人命尊重の立場から安全なエネルギー政策への転換こそ主張すべきでしょう。ふるさとから追われ、避難して行こうとする住民が、仮設診療所の診察室で涙をこぼしながら語ったそうです。「わたしだけ逃げるみたいで心苦しい。ごめんね。必ず戻ってくるから・・・。許してね。」こうした気持ちをしっかり受け止め、住民自らが納得いく復興を遂げてほしいと願わずにはいられません。

勤医協中央病院
院長 田村 裕昭

大船渡市の避難所からみえる光景

大船渡市の避難所からみえる光景(2011年4月支援に入った職員撮影)

東日本大震災に関わる北海道勤医協からのお知らせ

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